躁うつと、うつは違う病気
躁うつ病(双極性障害)と、うつ病の違いについて書こうと思う。
ザックリと、
【うつ病】
・精神的ストレスが原因である場合が多い
・完治することもある
・遺伝的要素は少ない
・精神的ストレスが原因でない場合も多い
・基本的に完治はしない
・遺伝的要素が多い
といったことが挙げられる。
双極性障害の、『精神的ストレスが原因でない場合も多い』について、もう少し詳しく書くと、
双極性障害では、躁とうつの時期が交互に巡ってくる。
躁になったら、反動で必ずうつになる。
うつになったら、躁になる。
それを繰り返すのが、双極性障害。
『精神的ストレスが原因でない場合も多い』というのは、
2つの症状が、お互いの原因になっている、という意味。
そもそも、なぜ双極性障害になるか、というのは、遺伝的な要素が多く、わたしは両親も同じ病気を持ってる。
あとは、敏感な体質で、家庭環境などで長期的に心に大きなトラウマを若い時に負うと、20歳前後で発症する、ということもあるよう。
双極性障害は、だいたい20歳前後で発症するという点を考えても、一時的なストレスが原因というより、元々の遺伝要素が大きく関係していると考えた方が理にかなっている。
治療の違いを考えても、2つの病気が違うことが分かる。
うつ病の治療は、基本的に『抗うつ剤で、うつのダウンの状態を上げる』のが目的で、
双極性障害の治療は、『アップしたらダウンしないように、ダウンしたらアップしないように等、波を極力少なくする』のが目的。
わたしが飲んでいるラミクタールという薬は、てんかんの薬でもあって、
てんかんは神経の過剰な興奮が原因で発作が起きて、ラミクタールは神経の興奮を抑えるという薬。
双極性障害においても、神経の興奮を抑えることで、躁状態を招かないようにし、躁状態にならないことでうつ状態にならないようにすることによって、全体的に波を抑える、ということらしい。
ちなみに、うつ病と診断される人の10人に1.6人は、実は双極性障害というデータもあるが、双極性障害の人がうつの薬(抗うつ剤)を飲むと、症状が悪化するから、気をつけないといけない。
精神疾患ではなくて脳という臓器の病気
このブログを書きながら思うことは、『精神疾患』を持つ人がもっと病気のことを打ち明けやすい社会になったら良いなぁということです。
『精神疾患』のラベルを貼られることで、それまで経験しないような社会でのストレスを経験することになりました。
例えば、偏見があるからあまり人に言えないとか、会社にバレたら辞めさせられるんじゃないかとか。
精神疾患というと、落ち込んだり、やる気がなくなったり、精神的にネガティヴな状態になることだけを考えるけれど、
本質的に、『精神疾患』という呼び方は、事実に基づいていない偏見に基づいた呼び方だとわたしは思っています。
世間に偏見がある中で、自分がそういう風に呼ばれるのはあまり気持ちの良いものではありません。
わたしは、将来は『精神疾患』という言葉はなくなると思っています。
事実に基づいて、『脳という臓器の病気』として認識されるときが来ると思うのです。
だって、脳の病気というなら、他の臓器の病気と比べて、何が違うの?
脳の神経伝達物質の制御が、普通の人のように上手くいかない。だから、治療する。
ただそれだけのこと。
わたしたちは、この病気を持っていることを恥じなくていいんです。
『精神疾患』という言葉によって、偏見を持たれるのは、フェアじゃないと思う。
病気のメカニズムを知ろうとしないから、『精神疾患』という言葉を聞いただけで『なんだか怖い』と思ってしまう。
人間は、頭でちゃんと理解できないことを無条件に恐れるから。
でも、その理解できないことを観察して研究したり分析したりして、理解していくことができるのもまた人間だから。
将来の状況はだいぶ変わっていると思います。
セイが想うこと
2017年9月、自分が双極性障害を持っていることを知った。
病気のことを知らなかったときには、自分のことを責めてばかりで、自分のことを認められなかった。
病気のことを知ってから、やっと本当の自分に出会えた気がした。
失敗ばかりの過去を清算できる術を得たと思った。
ひとしきり過去を振り返った後、過去は覚えていてもあんまり意味のないものだという結論に至った。
今は、新しい命を生きているのだと思うし、実際にそう感じる。
遺伝性の双極性障害を持っていることは、ただ単に命がそのように生まれついたというだけのことだと思う。
命に罪はないし、命は尊いし、命は大事にされるべきもの。
それは、病気や障害を持っていようがいまいが、変わらない。
人生はなるべく自分らしく、そして自分らしさに満足して生きていくものだと思う。
病気はわたしの個性なだけ。
それ以下でも、それ以上でもないんだと思う。